さらにYou raise me up
SixTONES沼落ちブログのような何か
初の東京ドーム公演に寄せて
沼落ちブログなるものを私も書いてみようかしら、と軽い気持ちで呟いたところ、フォロワーさんに読みたいです!ぜひ!とチヤホヤされた。嬉しかったのでマスクの下でニチャ…ときしょ笑いを浮かべながらこの文章を書いている。東京ドームに向かう、新幹線の中である。
沼落ちブログというのは自分の経験や、推しを推すに至った経緯を書くのだろうか。
私は今まで男性アイドルを好きになったことがない。
スポーツにも興味が皆無なので、東京ドームに対する思い入れもさほどない。ドーム公演は一度、某ロックバンドのコンサートで行ったことがあるけれど、遠かったなーということしか思い出せない。席がどこだったかも記憶にない。
でもSixTONESにとって、この会場が特別であることは知っている。
職場の先輩に東京ドーム公演に行くんですと言ったら「えぇー、ドーム?遠いじゃん。豆粒だよ」と言われた。全くその通りだと思った。でも絶対行きたかった。豆どころか米でも胡麻でもかまわない。田中さんが「俺たちとファンだけの空間にしたい」と言っていた。キャパシティ55,000人の東京ドームに、私の席があった。
このことの、意味が、どれだけのものか。分かる人には分かるだろうし、分からない人には一生分かってほしくない。
私は東北に住んでいる。
地元でいちばん大きな駅から新幹線に乗って、東京へ向かう。
私の住まいは東北の、新幹線の停車駅から更に電車で1〜2時間ほど移動した場所にある。
北の田舎はどこもそうなのかもしれないけれど、とりわけ私の住む県は、どの季節にも漠然と、冬の匂いが残っている。
それは縦型の信号機だったり、道路の横にある融雪剤置き場だったり、季節問わず民家の軒先に放置されたプラスチックの除雪スコップのせいだったりするのだけど、そうして目の端で冬を感じながら駅を目指し、新幹線に乗ると、新幹線の無機質なドアが、まるで冬から春への季節の変わり目のような、奇妙な感覚がからだの中に飛び込んでくる。そして暗いトンネルを抜けるたび、景色は明るく色づいて、自分が何を考えていたかなんて、そのうちすぐに忘れてしまう。
どこかへ行こう、そのための花束を
SixTONESを好きになって、好きだという気持ちだけでここまで来た。
好きという気持ちはいつも、時間や距離を簡単に越える。
メンバーカラーのネイルポリッシュを買う。
普段は使わない派手な色のネイルで指先を彩るとき、どこかへ行くための花束が、確かに私の指にも宿る。人の、行動に繋がる動機というものにはたくさんの種類がありそうだけど、やっぱり「好き」という気持ちだけで体や心をどこか遠くへ運ぶことは、素敵なことだと私は思う。
だってこんなに感情が昂る。
SixTONESが好きな自分は、少しでも善い人間で在れたらいいと願ってしまう。
私としての私はどうしようもないけど、SixTONESファンとしての私は、出来る限りの、善い人間で在りたい。
「常温さんが嫌い」と誰かに言われるのは何とも思わないけど、もしも私のせいで「SixTONESのファンが嫌い」と言われる場面があったら、つらくて悲しくて、泣いてしまいそう。
SixTONESのファンが善い人だと嬉しくて、みんなのことが、みんなの中に含まれる自分のことが、大好きになる。idolという言葉は「偶像崇拝における崇拝の対象」が語源らしい。メンバーは、スタッフやファンを含めてteam SixTONESと呼んでくれる。私たちは無意識のうちに、外側へ、内側へと、崇拝の対象を広げているのだろうか。
心に火を付けて、飛び立つ魂に送るよ
私がSixTONESを好きになったのは、Ride On Timeという密着ドキュメンタリー番組がきっかけだった。
2020年。
当時の私は、少々小難しい仕事をしており、職場の人間関係も最悪で、心がバキバキに折れていた。
毎日ひと知れず泣いて、泣いて、体力を消耗し、泥のような日々を繰り返すうちに、感情が死に、欲が死に、自分がどこで何をしていて、何のために生きているのかが分からなくなった。
でもご飯が食べられるうちは大丈夫。そう信じて、毎晩、味も分からないご飯を無理やり噛んで、飲み込むだけの食事をしていた。無音の空間で食べてると食事に集中してしまって吐きそうになるから、気を散らすためにテレビでネトフリをつけて(地上波は圧が強い番組が多くて辛かった)、おすすめに上がっていたROTのサムネ にキンプリをみつけて、あ、あの、やさしいアホの子(と、当時は思っていた)(ごめんなさい)の、平野くんって人がいるグループかな?ドキュメンタリーなら見てみようかな、と思って再生ボタンを押した。
電気の白い光が怖くて、真っ暗な部屋で、音を小さくして、ROTの映像を流した。
たった一杯のご飯と少しのおかずを食べ切るのに2時間もかかって、そのまま見るでも聴くでもなく再生を続けていたら、他のグループのドキュメンタリーがどんどん始まって、何組か他のグループの映像も見た気がしたけれど、いつのまにか、画面にはSixTONESが映っていた。
ストーンズ。ストーンズ?
知らない名前だったから検索した。あー、オードリーの前にラジオしてる、あの媚びないジャニーズかと、そのときにやっと結びついた。(私は昔からラジオが大好きなので、以前オードリーのANNに乱入してきて元気に「(オードリーANNは)聴いたことないです!」と言っていたジェシーのことは覚えていた)
ところどころ、発する言葉が気になった。
なんでだろう?強い言葉を選んでも、何かが滲んで、見えない染みをつくるような。でもそれだけじゃない気がする。初めて見たときは正直、顔だけじゃ他のグループと見分けがつかなかったんだけど。どうして彼らが気になったんだろう。
なんとなく目の端で気にしながら、ふーんジャニーズも苦労してんのね、と思っていたら、モンストCMのメイキングが流れた。
廊下で虫を見つけて大騒ぎする「男子高校生」が画面に映った。
撮影が終わり、スタッフさんの、カット!の声がかかると、画面の中の「男子高校生」は、「男子高校生」から「その人」に、
《パチッ》と、チャンネルを切り替えた。
その瞬間、
ずたぼろだった私の身体が、今までの灰色の世界線から、ポンッと、身一つで、鮮やかな別の世界線の、同じ時間軸に投げ込まれたような、正体不明の衝撃が、正面から、からだに、どん!とぶつかってきた。
上手く言えないけど、この人!と思った。
運命とか、一目惚れとか、そういう類いの話では無く。
ついに理想のアイドルを、探し求めていた存在を見つけたとか、そういう類いの話でも無く。
今でもうまく表せないんだけど、このたった一瞬に、私の中に存在として現れた「この人」は、驚くほどに鮮やかな色彩を持っていた。
「この人」の名前は「森本慎太郎」さんという。
そこからギンッギンの目で夜明けまでROTを見続けて、うおおおお!!!と米をといで、ご飯を炊き直して、おかわりして、ドラゴンボールの食事シーンのように飯をかっ込んだ。なんだコレ、メシ、ウメェ〜!!と思ってぼろぼろ泣いた。うける。
さっきまでの涙とは全然違う涙で、泣けば泣いただけ、澱んだ心が洗い流れる気がした。
アイドルって。
アイドルって!!
なに!?!?
※今も全然分からない。
慎太郎くんが、
「SixTONESができたとき、これで最後だと思った」という話をしたときの、「デビューしたら、今のSixTONESの形が崩れそう」という話をしたときの、「先のことを考えず目の前の仕事をやっていく」という話をしたときの、強い視線と声色に、どこか潜んだ怯えとか、今、思い返しても泣けてしまう。
映像や活字で(それも側面に過ぎないと知りつつ)彼の理解を深めれば深めるほど、彼だけが保っている色彩が、鮮やかになっていく。見た目がいいとか、言動がかわいいとか、感動したとか、失望したとか、そういう話じゃないんだよ。ただただ、知れば知るほど、慎太郎くんという存在の色が鮮やかになる。こんなことある?すごいんですけど。
暗い部屋に電気をつけるように、人に光の在処を教えてくれる人だと思った。
他のグループを貶める目的はないけれど、ROTにおいて、SixTONESはどこまでも異質だった。
この人たちはいつも、まわりの人間のことばかり見ている。
自分たちが切羽詰まった状況で、焦りや不安の中にあってなお、自分以外の人間のことばかり気にしている。
他のグループの密着では、何かが出来ないメンバーがいると、その子を残して、できるメンバーがどんどん先に進んでいく様子が映っていた。
アイドルが職業である限り、他者にかまけず自分のレベルを磨くことは正しい選択なのだろうし、それはそれでストイックなアイドルの魅力のひとつなのだろうと思う。
でも、SixTONESは、
休憩中にひとりが振り付けを確認していると、みんなが集まってきて……
振付師さんに「ちょっと教えて、(振付師さん)も大変だと思うけど」と気遣いながら、自分も大変なのに笑顔で振りつけを教わる人がいて、
なんか、なんていうか…言葉の中に、視線の中に、必ず自分以外の誰かがいて、それを覆い守るようにそれぞれの強い自我があって、好きと口に出すのは恥ずかしいけど、SixTONESのためなら一人でも戦うって、自分に誓うように語るメンバーがいて。
タクシーの中でインタビューに答えるジェシーさんから生まれる、沈黙の中に詰まったはち切れんばかりの焦燥が、画面の中に見えた気がした。
そんな風に言葉を選んで答えても、笑顔があって、相手を気遣わせない優しさがあって、冗談やギャグの中に、隠しきれない、グループへの愛情があった。
大我さんは、
こんなに綺麗な顔をして、超有名な芸能人の子どもで、こんなに魅力的な人なのに、「坊主になったらファンが3人くらいしか居なくなっちゃう」と自嘲して、「本音を言うとデビューしたくない」と静かに言葉を紡いでいた。
そして、「全部6人で決めてきたから」「他のメンバーが、3人とか4人、5人がデビューしたいっていうなら、俺はついていく」と言って、視線をさ迷わせながらも、意思が感情に負けないように、言葉を選んで喋っているように見えた。
こんなに努力する人が、自分の感情よりも優先する人間関係があるのってすごいことだと思った。
そしてこのひともまた、周りばっかり気にしてる。人の目を気にしているというわけではなくて、周りのことを気にかけている。周りっていうか他のメンバーのこと?なんなの?これは優しさなのかな。大好きなの?依存のような気もするけど。いや依存とは違うかな。なんだろうこれは。これはなんですか?(パニック)
髙地さんが、
デビューの直前に、「SixTONESが大きくなりすぎて、俺が置いてかれてるなって思う」と言ったときの顔とか。
「きみはいるだけでいいんだよ」って言われて「仕事させてくれ、おれはなにを努力すればいいんだ」って思った髙地さんが、最年長で、誰よりも切羽詰まった状況で、もう終わりだって思っていた髙地さんが、「SixTONESがなくなるなんて最悪、俺がそうさせない」と言ったときの目とか、見たらさ。もう。
松村さんのコメントに、ジェシーさんから言われた「やりたいなら言わなきゃ。言わなきゃやれないし、やらなきゃ上達しない」という言葉(要約)がある。あまりにも金言で、ジェシーさんの大きな愛情も、それを受け止めて、咀嚼して、飲み込んで、自分の課題として取り込んで、抱えて生きてきた松村さんの素直な努力も、本当に凄くて、知れば知るほどSixTONESが気になって、それから何度、夜が明けても、何回も何回もROTを見て、見終わった頃には夢中だった。
楽しい地獄の釜の蓋、YouTubeをひらく
YouTubeは明るい深淵なので、こちらがYouTubeを覗くとき、YouTubeもまたこちらを覗いている。
こちらを覗いて、ヤッホー!と手を振る。
そして手を振りかえした時にはもう、我々はYouTubeの罠に嵌っている。
罠というのは具体的に言うと、関連動画の自動再生である。
YouTubeは独自のアルゴリズムによって導き出した情報を餌に、食いついた獲物(おたく)を確実に沼に沈める。
ROTの視聴に区切りをつけて、まずはYouTubeで SixTONESを検索した。
公式チャンネルが出てきて驚いた。最近のジャニーズは動画チャンネルがあるんか…。
最新の動画は、コロナ禍のためリモートで近況報告をしあうSixTONESの回だった。
17分もある。リモートの動画で17分は長いなぁと思いながら動画を再生した。
2,3分の歌唱シーンが見れれば良かったんだけどな。ちょっと長いし、飽きたら途中でやめればいいか。消極的な気持ちで再生ボタンを押した。動画が始まった。終わった。え?あれ?
一瞬で終わった…。え…17分…?
時計を見るとしっかり17分、時間が経っている。
あれ…??私の知ってる17分と、長さが違うね?
ROTのSixTONESもすごかったけれど、YouTubeの SixTONESもまた、すごかった。
YouTubeでは特に田中さんが印象に残った。
田中さんは、大我さんの全然すごくないストレッチ(見えもしない)への「すごーい♡」の一言でふたりの特異な関係性を初見の視聴者(私)に知らしめ、(ちなみにこの時の髙地さんの「樹悪いわ、相変わらず悪い」という一言もめちゃくちゃ大事)髙地さんのレザークラフトの話のときには「これも元は一枚のレザーだったんだよね」とツアーグッズのブランケットを広げてみせた。なに?このひと。
す……す……
すきかも…………(声ちっさ)
もしかしなくても、このひと、かしこい?
私は地頭が良いアイドルが大好きだ。二宮和也さんとか、菊池風磨さんとか、道重さゆみさんとか、渋谷凪咲さんとか、知性と愛嬌を武器に、狙ってホームランを打ちにいけるアイドルが大好きだ。おもしろ回答の片隅にクレバーの気配を感じるとゾクゾクする。
田中さんはどの角度からどう見ても、地頭が良い。
映像を見ると、彼の荒削りな賢さは、天性の才能だけではなく、自分自身のブランディングによって年月をかけて磨かれた武器であることがよく分かった。自分の外側を守るために、自分と自分の居場所を守るための武器を、自分の力で磨けるアイドルは少ない。
関連動画で勝手に再生されたJrチャンネル時代の動画を見ていたら、髙地さんがダンスの練習で足を攣ってしまい、それをマッサージをする田中さんの映像が流れた。
マッサージされて、「ほぐれてきた」と言う髙地さんに、田中さんは「な、おれ神の手って呼ばれてるから」と言っていた。
「おれ神の手って呼ばれてるから」!?!?
こんなことって、ある?
今も打ってて泣けてきた。こんな種類の優しさがこの世にある?優しさだよなこれ。優しさであってる?未知のものすぎてカテゴリが分からない。
髙地さんが足を攣ったせいか、もともとの終了時間なのか分からないけど、とにかく練習がストップして、密着のカメラがいて、足を攣ったメンバーがいて、それをケアしながら「おれ神の手って呼ばれてるから」って。
この一瞬の受け答えの間に、責任の在処がどこにも見当たらないようなユーモアを、誰が言えるの?頭が良すぎる。体がやさしいもので出来すぎている。田中さんはヤンチャ的な、グループにおけるヒール(悪役)的なポジションなのかと思っていた。そういえば、ヒールしては、愛されすぎていたし…、可愛すぎる言動が多々あった…。そうだ!そういえば、あのときも…あのときも、やたらとかわいかった!あの動画でも!あの音声でも!田中さんはかわいかった!!これまで視界の外側に存在していた田中さんのかわいいが、視点を変えるや否や突然、絶え間なく押し寄せてきた。かわいいの波状攻撃だ。かわいい、いとしいに溺れてしまう。
田中さん……いや、じゅ、樹ちゃん!!!!
以下を情報の整理として。
1.過剰な心配をしないことで一方的な優しさを押しつけない
2.神の手ってたぶん呼ばれていないので「呼ばれてねぇだろ」というツッコミしろがある
3.足を攣ったメンバーをひとりにしないことでマイナスな気持ちを霧散させる
4.冗談を言いながらも、足のマッサージをする手が愛情に満ちている
5.好きになってほしいからやるのではなく、好きだからやっているのが髙地さんへの「えへへ」から伝わる
みなさんも検証して欲しい。(4:15〜)
「思慮深い」という言葉にこの人の言動は収まるのか。
「おれたちを都合よく使って」と田中さんは言っていた。
私たちがアイドルを都合よく使っているのを知った上で、事も無げにそんなことを言う。
田中さんがそう言ってくれる前から、私たちはいつも、アイドルを都合よく利用していた。時にエンタメとして。時に恋愛感情の矛先として。時に理想の自分として。時に救済の手掛かりとして。
ビジュがいいとか悪いとか、頭がいいとか悪いとか、対等な相手であれば言うのが憚れることも、アイドルという遠くの存在に対しては、好きと言う気持ちを免罪符にして、自分で勝手に箍(たが)を外してしまう人がたくさんいる。
そんなこと、とっくにバレていた。
その上で「ファンが大切だ」「ファンを含めてSixTONESだ」と言ってくれる。アイドルだから当たり前じゃない。この人たちがすごいのだ。
それを絶対に忘れたくない。
「大人になった意味がある曲」でデビューを果たし、色々なことを「大人」に言われながら、目の前に壁がないと不安になるくらい連続する困難を乗り越えてきた、無垢なままではいられなかった彼らが、無垢ではないファンの身勝手な愛情を受け入れることは、一体どれほどの愛だろう。
言葉を書くことは魔法に近い。簡単には解けない魔法
そして活字の沼がある。
活字の沼というのはつまり、Myojo一万字インタビューの沼である。
ここまで色々な経緯での沼落ちを説明してきた私だが、「完全に沈んだ」のは絶対に、一万字に両足を掴まれたからだ。
SixTONESの発する言葉はすごい。
活字になると言葉の威力がさらに増す。不思議だ。普通は逆だと思う。ステージや映像に生きているアイドルが、一次元的な情報になることでその威力を増すなんておかしい。おかしいけど現にそうなんだよな。どうしてだろう。わからない。考えるな、感じろってブルースリーが言ってたかも。言ってないかも。なんの話だっけ?
Don't think,feel.
SixTONESの言葉は荒削りで、チャーミングで、時々間違えたり、寄り道したりするけど、方向を修正しながら、ちゃんと自分の足で立って、地面をかたく踏みしめながら、正しい道を進んでいく。水たまりにはまったり、泥がついたり、立ち止まったりしても、目指す光は同じで、その方向はいつもジェシーさんの指が示している。
アイドル誌には色々なアイドルが掲載されている。
でも、たとえ正体を知らずにインタビュー内容だけを読んだとしても、私はSixTONESを好きになる自信がある。それって最高だ。好きな人たちの内面が最高だというのは最高だ。「好きなひとが優しかった」の亜種だ。内面が最高だから好きになったんじゃない。好きになった人たちの内面が最高だったから嬉しいんだ。平和すぎる。青春の1ページって、地球の歴史からすると、どのくらいなんだろう。あーあ、愛しいあの人、お昼ご飯、何食べたんだろう?
はい。
一万字インタビューは、未読の人にはなんとかして合法な手段でいつか絶対に読んで欲しいんだけど、一万字インタビュー以外にも好きな記事はたくさんある。
たとえば松村さんはファッション誌のインタビューで「SixTONESのメンバーは自分の運命が勝ち取った存在」と言い切っている。
「寂しがり屋なのに一人が好き。(中略)一人でもなんとかなる存在でありたいと願う一方、グループに助けられている部分もたくさんありますし。ただ、SixTONESのメンバーたちは俺が自分の運命の強さで勝ち取った5人だと思っているから、グループに頼ることが甘えや悪いことだとは考えていないんです」
ぜ、全部つまってる……。私からはもう、何も……言うことはない……。
こんなに……、いや、何も言うまい。ぜんぶ蛇足になっちゃう。
松村さんは本当に感情の言語化が上手。ほんと尊敬する。
あれから時を経て、過去のインタビューの内容と今の考えが違っている人がいたとしても、それはそれとして私に変わらず力をくれる。人は変わるので。変わることは寂しくもあり、愛おしいことでもある。その時に持っていた感情は文字の形をしたまま不可侵となって、昨日も今日もきらきらと色んな光を反射している。
なんか毎日尊敬ばっかりしているな。
こんな形でアイドルを好きになる日が来るとは思わなかった。
ちょっと大袈裟だけど、生きててよかったかも。泣ける。
ていうかごめん急に友達みたいに訊くけどさ、これを読んでるそこのあなたは、東京ドーム初日の、公演終了後の、天気予報外れの雨を覚えてる?
実際にドームにいた人も、自宅や職場からドームに思いを馳せていた人も、ツイッターで情報だけをキャッチした人もいたでしょ。
あの雨を、私は一生覚えていたいよ。
あのとき、私のからだを濡らした雨の冷たさを、自分が打ち崩れそうなときに何度でも思い出して、ジェシーさんみたいに、「変わろうとしたタイミングで自分は変われる」と思いたい。
そんな風に自分に力をくれる、SixTONESに出会えて良かった。
SixTONESのことを大切にしたいし、自分がSixTONESを好きだと思う気持ちも、これからもずっと大切にしたい。
東京ドーム公演の翌日、真夏日だった東京から、帰ってきた地元の街はとても寒かった。
新幹線の停車駅からさらに地元へ向かう、東京の電車とは比べ物にならないくらいガタガタ揺れて、傾いて、ギシギシ軋む2両編成の電車に揺られながら、ふと外を見ると、山の麓に薄く色づく小さな桜の木があった。新幹線に乗らなくても、トンネルを抜けなくても、こんなに身近に、春は自生する。
視点を変えれば季節なんてどこにでもある。スニーカーを軽く弾ませて、地元の駅に降りた。田舎過ぎて、相変わらず誰もいない駅だけど、こんな景色だって光っている。あの日からずっと続いている、これが私の沼落ちです。おわり
2023.08.03 追記
蛇足になりかねませんが、黙ってSixTONESを推しているだけだった私がツイッターで思考を発信するきっかけになったすすきさんの「森本慎太郎くんはなぜかわいいのか」アンケートへの回答を以下に貼り付けておきます。
アンケート自体も大変素晴らしいので、ぜひ見つけてご覧になってください。人様のブログなのでリンクは貼りませんが、探せば必ず見つかります。探せ!この世の全てがそこにある!
すすきさんと、当時、匿名で回答したにも関わらず、様々な形で反応し、アカウントを探してくださった皆さんのお陰で私の楽しい今があります。何もお役立ち情報は発信できませんが、今後も彼らが好きだという気持ちだけ、誰かと共有できたら幸せです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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