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だが、メイキングを観る

今聞くとやっぱりインタビューの受け答え、慎太郎くんの言葉を喋っていても山ちゃんだな 元々たりふたが好きだったのでいくら自担とはいえドラマ化に対して複雑な思いが少なからずあったんだけど、それが全部ふっとんだ喫茶店のシーンが少しだけど入ってて良かった 慎太郎くんは役が抜け切ってないことに対して蝕まれるとかウイルスとか面白ワードで我々に伝えてくれたけど、ひとつのセリフに対してここまで解釈を身体に落とし込んで、自分の中の"自分"を明け渡すような役作りをしていたんだと私も自分の目で見ることができて、本当に私はいち視聴者として、リアルタイムで毎週楽しみにこのドラマを見られたことが幸せだったんだなと改めて思った。 自由を自由として渇望する慎太郎くんが、パーソナルスペースを侵されるような接触があまり得意ではいように見えた慎太郎くんが、読んで、聞いて、解釈して、落とし込んで、そうやって演じていたから、私たちにあの役が、本当の人物として見えていたのかな。主題歌の「本当の自分なんていやしねぇ」という歌詞のすごさを改めて感じた。選り取り見取りの一生、みどりが彼の色であること。 あとこれは個人的嗜好なんですが慎太郎くんが寺田つんく光男の歌を絶叫して「沁みる歌詞ですよねぇ」て言ってた ロンリー僕はひとりかい クゥーッ!!ついに行っちまった……ハロプロの向こう側に…… 薬師丸さんとのリハーサルで山ちゃんとしてのアドリブに答えたあとに、山ちゃんのまわりにフワ…フワ…と戻ってくる慎太郎くんの"気" 初漫才のリハーサルで、台本でウケないシーンだって知ってるはずなのに抱いた「くやしい」「ウケてぇ」という感情 山里さんのエッセイを読んで役作りをしたことをポロッと「小説を読んで」と言ったところ、なんか嬉しかった 解釈の過程に物語を噛んでいること そして慎太郎くんの山ちゃんはしずちゃんが最後の相方って知ってるから、西中サーキット(しずちゃんのコンビ)のリハーサルを見ている慎太郎くんがずっとずっと、まわりの空気が溶けそうなほどの愛だった 人から嫌われたり自転車を投げられたりするの新鮮で面白かったって笑ってたけど、あれだけ役に身体をあけ渡せば、刺すように嫌い、刺されるように嫌われ続けるのは誰だって辛いんじゃないかと思う 自分の未来が目の前で息をしている(改めて、山里さんの人

Q.常温さんにとってほくじぇはどういう存在でしょうか?

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A.代替不可であれよフィギュア キャラクター性を伴う立体がこの世にどれだけ溢れていても、代替不可であってほしい。あるがままで! マシュマロありがとうございます🐻🎶 元々KinKiさんが好きだった人が愛という名のベールを聴いてほくじぇに落ちるの、すごくストレートな愛の受け取り方だなって読んでいて心がうるおいました。 〇〇がいる(〇〇みたい)は褒め言葉として時に嫌忌されることもありますが、愛べに関してはほくじぇがあれほどインタビューでKinKiさんのお名前を出していて、ほくじぇの"ふたり"でKinKiさんみたいな歌をうたう!って意識が内外に向けて発信されていたので、実際にほくじぇにKinKi Kidsを感じて落ちたのって、辿るべくして辿った軌跡であるのかなとしみじみ思いました。 私はデビュー後からのファンなので当時の熱量は知りませんが、キミハカルマの熱がどうしても冷めない一定の層がいて(これは本当にすごいこと)その層に届くように、自分たちの形でやりたい音楽を表現したほくじぇってすごくかっこいいですよね。これだけのおたくの残留思念を成仏させたらほくじぇ、徳が高すぎて輪廻転生から解脱しちゃうよ…やだ来世も人間に生まれて欲しい あんま徳ばっか積まないで(うちわ) ていうか元々北斗くんが好きで最推しが大我さんであったところにジェシーくんが急上昇してくる人生サイコーすぎて…VRで追体験させて欲しい…。 余談ですが私の"ほくじぇ"との邂逅は昔の雑誌(2013年、掲載誌は不明)での北斗くんからジェシーくんへのメッセージ、 ジェシーはオレにだけ甘えてくるよね。 リハの帰りに 「今日ね、足が痛かったの」 とか。 という一文を読んだときなので、最初に"私にとってのほくじぇ"を考えたときに『社会性のある甘えん坊たち』と答えようと思ったのですが ジェシーくんの太陽のような明るさの影でひっそり息をする少しの魔性は、彼らのシンメトリーな関係に限定されたジェシーくんの側面のひとつであり、本質ではないと感じたので考え直しました。 あとほくじぇを語る上では ケツ占い と、 ジェスくんおいちぃ? は絶対に外せない。 絶対に外せない。 年表だったら太字になる出来事なので(ケツ占いが?)(ケツ占いが!) それから、味噌汁×北斗くんの唇(逆CPかも

さらにYou raise me up

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SixTONES沼落ちブログのような何か これは、私こと常温が沼落ちブログを目指して書き始めたら出来上がってしまった、備忘録のような、感情の掃き溜めのような、よくわからない何かである。 断っておくが主観である。予測に過ぎない感情を断定的に言い切っている部分もある。読んだ後に嫌な気持ちになる方もいるかもしれない。広い心でお読みになるか、無理だと思ったらすぐに引き返してください。責任は負わないので。照れくさい表現があっても笑わないでね。もう情熱しかない。 初の東京ドーム公演に寄せて 沼落ちブログなるものを私も書いてみようかしら、と軽い気持ちで呟いたところ、フォロワーさんに読みたいです!ぜひ!とチヤホヤされた。嬉しかったのでマスクの下でニチャ…ときしょ笑いを浮かべながらこの文章を書いている。東京ドームに向かう、新幹線の中である。 沼落ちブログというのは自分の経験や、推しを推すに至った経緯を書くのだろうか。 私は今まで男性アイドルを好きになったことがない。 スポーツにも興味が皆無なので、東京ドームに対する思い入れもさほどない。ドーム公演は一度、某ロックバンドのコンサートで行ったことがあるけれど、遠かったなーということしか思い出せない。席がどこだったかも記憶にない。 でもSixTONESにとって、この会場が特別であることは知っている。 職場の先輩に東京ドーム公演に行くんですと言ったら「えぇー、ドーム?遠いじゃん。豆粒だよ」と言われた。全くその通りだと思った。でも絶対行きたかった。豆どころか米でも胡麻でもかまわない。田中さんが「俺たちとファンだけの空間にしたい」と言っていた。キャパシティ55,000人の東京ドームに、私の席があった。 このことの、意味が、どれだけのものか。分かる人には分かるだろうし、分からない人には一生分かってほしくない。 私は東北に住んでいる。 地元でいちばん大きな駅から新幹線に乗って、東京へ向かう。 私の住まいは東北の、新幹線の停車駅から更に電車で1〜2時間ほど移動した場所にある。 北の田舎はどこもそうなのかもしれないけれど、とりわけ私の住む県は、どの季節にも漠然と、冬の匂いが残っている。 それは縦型の信号機だったり、道路の横にある融雪剤置き場だったり、季節問わず民家の軒先に放置されたプラスチックの除雪スコップのせいだったりするのだけど、そうして目の端で冬を